忘京

 すべてフィクションです。

はろー、わーるど!

 やっほー。
 今日はね、あんまり調子がよくなかったから、お布団に包まりながら言葉の虚構性について考えてた。
 コトバのキョコーセー。なんだかカッコイイでしょ。

 いきなりなんだけど、デジタルとアナログの違いって知ってる?
 新しいものがデジタルで、古いものがアナログ、みたいな理解の人も結構いるよね。コンピュータっぽいのがデジタル、みたいな。
 まーまー、国ですら「デジタル庁」とか言ってるしね。案外そんなものなのかも。
 ちなみに、古いものがアナログっぽいのは「アナクロ」って言葉が別にあるせいだと思う。たぶんね。

 雑な言い方をしちゃうと、デジタルは数字で表現できて、アナログはできない。
 そんな感じです。
 たとえば、円周率とか黄金比。あれって数字だと終わりがないけど、アナログなら終わるんだよね。だって、円も長方形もそこにあるんだもん。ああいうアナログだと「これ」とか「このくらい」で済むものが、デジタルにするとすごい桁の数字を使わないといけなかったりする。
 あとはねー、たとえば将棋。あれってデジタルなんだよ。知らないとびっくりだよね。
 ほら、「2六歩」とか言うでしょ? 「右から2列目、奥から6列目のマスに歩を動かしたよ」って意味なんだけど。実際にはそのマス目の中でも微妙に位置が違ったりしても、そういうのは考えないのがデジタル。マス目単位で考えるから、数字で表現できるわけです。だからネット将棋なんかもあるし、棋譜も作れる。デジタルは誰にでも間違いないように伝えやすいよね。
 他方、アナログはそういう風に正確な表現ができない。
 マス目がなかったら将棋って成立しないよね。駒の動きも「この方向にこれくらい進める」みたいにぼんやりしちゃうから、「お前いまちょっと多めに動かしただろ」って喧嘩が起きるかもしれない。桂馬なんかはズルし放題かも。解説の人だって困っちゃう。「飛車をこの辺に動かしました」とかって言わなくちゃいけないから大変だもん。それはそれで面白いから見てみたい気もするけどね。
 だからゲームっていうのはデジタルな仕組みなものが多いのかもね。まあ、ゲームに限らずだけど。揉め事が起きないように正確なルールを定めようとするとデジタルになりがち。何なら仏の顔もデジタルだと思う。2回目までは笑ってた人が3回目で急に怒り出すのはこわい。少しずつ怒ってほしいよね。

 デジタルって、何のためにあるのかな。
 私はね、さっき言った「揉め事が起きないように」っていうのが結構大事だと思ってる。同じものを見ても、人によって感じ方って違うでしょ?
 クオリアってわかるかな。「私の見ている赤と君の見ている赤は果たして同じなのか」みたいなやつ。「赤」を「赤」以外の言葉で表現できないから、実際には全然違うように見えててもわからないよねっていう。でもね、逆に考えてみると、全然違うように見えているかもしれなくても、「赤」っていう言葉があることで、認識を同じくできるわけです。なんだかすごいよね。
 だからね、私は、言葉って嘘だなあ、と思うのです。
 そもそも赤なんて色はないからね。虹は7色じゃないし、季節だって4つじゃない。日付なんていうのは嘘だし、1日は24時間じゃない。深夜と早朝の境目ってどこだと思う? 4時くらい? それは私もそうかも。
 なんだかとっ散らかってきちゃった。
 んーとね、要するに、世界はアナログで、言葉はデジタルだと思うのです。
 デジタルでは曲線を書けないって知ってる? あれは、カクカクした折れ線をどんどん細かくしていって、擬似的に曲線っぽくしてるの。言葉もそれと一緒で、世界をそのまま表現することができないから、人が言葉で枠組みを作ってるだけ。そうじゃないと意思疎通がとれないしね。それは悪いことじゃないと思う。
 でも、本来の世界がアナログだってことを忘れている人は多いんじゃないのかな。
 黒と白、男と女、二元論的に単純化した世界に生きてる人たちはその最たる例というか。「この線を越えたら悪人です」というのはちょっと乱暴じゃないかなあ、みたいなね。私はそう思っちゃう。
「この線を越えたからだめ」「越えてないから大丈夫」だけじゃなくて、「越えてるけど、まあ大丈夫」とか「越えてないけど……これだめじゃない?」みたいなのもあるわけです。その中でもさらに細かく分けられるだろうし、そもそも「分ける」って考えがそもそも少し違うのかなって。世界はそんなに白黒はっきりしてないと思うの。
 もちろん法律とかはある程度はっきりさせないといけないと思うけどさ。法律と世界、どっちが先にできたと思う? 世界は、人が定めた基準では回ってくれない。

 私は、世界をそんな風に単純に見るのは、もったいないって感じちゃう。
 たぶん、本質っていうのは言葉にはできないところにあって、そうした言語化不可能領域の美しさを、私は見ていたいわけです。花を見て「花だなあ」とか「赤いなあ」とか思うんじゃなくて、たまには言葉にせず、そこにあるそれをただただ見つめてみたいよね。

 うん。
 あんまり深い話はしません。言いたいことは多いけど、全部を言うのは無理だから。
 ともかく、私は、言葉は嘘だと思うわけです。
 だから、このブログだってぜんぶ嘘。そういうことなのです。

 信じちゃだめだよ?
 ではでは。