高校1年の夏だった。以前から恋愛相談に乗っていた男の子が、付き合っていた女の子と別れた。
別れる前から「彼女とうまくいっていない」と相談を受けていた私は、当然のように別れてからの愚痴を聞いたり慰めたりすることになって、そしたらそのまま流れで、私と彼は付き合うことになった。高校生の恋愛って、思いのほか展開が早い。
彼、彼、ってずっと言うのもアレだから、彼の名前を仮に「カート」とします。彼はニルヴァーナのカート・コバーンみたいに、少し精神的に不安定なところがあったから。
そんなこんなでカートと付き合い始めた私だけど、あんまりうまくはいかなかった。彼は自分の時間や自分の世界をすごく大事にする人で、デートなんかより趣味のほうが優先順位が高かった。いざデートをしててもずっとスマホを触ってたり、会話も短い相槌だけ。饒舌になるのは自分の趣味の話だけだった。
私はどうしたらいいのかわからず、カートとの時間が少しでも増えたらと思って、彼の趣味を勉強することにした。
カートは特撮番組が好きだった。仮面ライダーとか、ウルトラマンとか、そういうやつ。ひとまず私は、その中でも彼が特に好きそうな仮面ライダーを観てみることにした。カートにおすすめを訊いたら色々と教えてくれて、映画が好きな私にはコレと勧めてくれた作品は、彼が言うには本格SFらしい。
少し期待して観てみたけど、正直、あんまり刺さらなかった。とはいえ、彼はこういうものが好きなんだ、と知ることができたのは嬉しかった。
面白かったと伝えるとカートはすごく喜んで、今放送しているのも面白いよと言われた。せっかくだから一緒に観たいなと言うと、毎週通話しながら観てくれることになった。彼は私の知らない用語をどんどん出してくるから話についていくのは大変だったけど、お話ができたのは楽しかった。
代わりに私の好きな映画も一緒に観たかったんだけど、カートはあんまり気乗りしないようだった。一度だけ二人で観たことがあるけど、仮面ライダーのときみたいに粗を探すような見方をされるのが嫌で、それ以来誘わなくなった。
冬になると、カートから「もうすぐ仮面ライダーの映画が公開される」という話を聞いた。毎週一緒に観ているんだから当然映画も一緒に行くものだと思っていたら、他の仮面ライダー仲間と行くから、と断られた。ショックだった。
でも私が少しわがままを言うと、彼も仕方がないという感じで一緒に観に行ってくれることになった。
映画が公開された日、私は久しぶりのデートだったから張り切ってオシャレをした。けど、約束の時間になってもカートは来ない。入場開始のアナウンスが流れてもまだ来ない。LINEしても既読すらつかない。
さすがにそれ以上待っていたら映画に遅れそうだったので、先に一人で入って待つことにした。明らかに子供向けの入場特典をもらうのが恥ずかしくて、オシャレしたせいで周りからの視線が痛くて、隣に座った男の人の体臭がきつかった。
結局カートは最後まで来なかった。映画が終わったあと一人でお茶していたら、しばらくしてから「ごめん寝てた」とLINEが来た。
その日はカートに会えなかったので、明日またデートしたいと誘ってみたけど、彼からは「用事がある」とだけ。
残念だったけど、仕方ないと思った。
だけど次の日の夜、カートから「映画面白かったね」とLINEが来た。通話で聞いてみると、彼はその日、仮面ライダー仲間たちと映画を観に行っていたらしい。笑いながら伝わらない用語だらけの話を続ける彼の声に無性に腹が立った。
私のときは寝坊したのに。結局映画が見たいだけでデートはどうでもよかったんだ。どうして仲間と観に行くことを私に言ってくれなかったの? ちゃんとした謝罪も埋め合わせもなく、「ごめん寝てた」だけで解決したつもりなの?
いろいろ言いたいことはあったけど、私は何も言わなかった。言えなかった。そんなふうに思ってしまうのは私が悪いと思ったから。恋人であれば、それくらいのことは笑って受け止めなくちゃいけない。
でも、その翌日のことだった。その仮面ライダー仲間の一人がSNSに上げた写真に、カートが私の前に付き合っていた女の子が写っているのを見つけた。彼を問い詰めると、これは浮気などではなく、今は彼女とも趣味の仲間として付き合っているだけだと言う。
これまで積もりに積もったものが一気に爆発した。彼の言い分を信じたかったけどだめだった。というよりも、それがたとえ事実だとしても嫌だったんだと思う。
カートは、私と付き合っていることを周りに隠していた。人前で好きと言うと怒られた。照れ隠しじゃなくて、嫌だからやめてと言われた。前の彼女とは周りに見せつけるようにいちゃいちゃしていたのに、私とは何もしてくれなかった。
それで初めて大喧嘩をして、クリスマスは一緒に過ごせなかった。年末に通話をして仲直りしたけど、初詣は家族と行くからと言われた。
それからの私は、今思えばおかしくなってた。彼が私のことを好きじゃないんじゃないかと不安になって、ものすごい束縛をして、結果、2月に振られた。
「最初から好きじゃなかった」と彼は言った。
つらすぎて、終業式までほとんど学校に行けなかった。
高2の春には学校に行けるようになったのは、兄の友達のおかげ。
彼はニルヴァーナのクリス・ノヴォセリックみたいに背が高かったから、仮に「クリス」とする。
大学生のクリスは、家に遊びに来たときに私も一緒にゲームしないかと誘ってくれて、そこから少しずつ仲良くなった。すぐに二人で連絡を取るようになって、いろいろと話しているうちに、向こうから熱烈な告白をされた。
カートのことを引きずっていた私は、その告白を受け入れることに決めた。クリスのようにちゃんと私を好いてくれている人ならうまくいくはずだと思ったから。
でも、彼ともすぐにだめになってしまった。
クリスは少しばかりプライドが高く、私に対してはものすごい過保護で、そのうえちょっと感情的なところがあった。まるで自分が漫画の主人公であるかのような言動も多くて、二人で歩いてても「後ろの車につけられてる」とか平気で言う。
当時、私は三島由紀夫似の先輩から若干しつこめのアプローチを受けていたんだけど、それを軽く相談したらクリスは学校までやってきて、危うく暴力沙汰にまで発展しかけたこともある。
あと、私の文章にもよく口を出されてたな。クリスのアドバイスは的外れなことが多かった。芸術分野にも絶対的な正解を求めるような人だったし、「こうしたほうがいい」ってよく言われた。良い大学に行っていることを誇らしげにしていたけど、だからってどの分野にも通じていると考えるのは驕りだって、今でもそう思う。
そんな彼だから、まあ、うまくいくはずないよね。
なんでこんな人と付き合ってるんだろうと思いつつ、なかなか別れられなかった。
高2の夏頃かな。家にやってきた兄の先輩に、私はついクリスの愚痴を零してしまった。でもその先輩は私の話を優しく聞いてくれて、「おれでよければいつでも相談に乗りますよ」と連絡先も交換した。
彼のことは仮に「デイヴ」と呼びます。ニルヴァーナのデイヴ・グロールと同じで、彼もバンドでドラムをやっていたから。
デイヴに相談するようになってからしばらく経ち、一度、クリスとひどい喧嘩になった。
話の流れはあまり覚えてない。クリスは私がハーフであることを知っていたのに「白人はみな有色人種を見下している」という持論を振りかざし、私がそれは差別だと指摘すると、「俺は差別はしない」とキレた。殴られなくてよかった。彼は、白人はみんなそうだけど私だけは違う、とフォローにもなっていないフォローをしてきた。
元々はそんな話じゃなかったと思う。彼は何を話していても自分の話に持っていきたがるし、持論は絶対に曲げない人だった。しばらく連絡を断っていたら謝ってくれたんだけど、それも「誤解を招く言い方だった」っていうだけで、持論が間違っているとは最後まで認めなかった。政治家みたいだね。
それでも、デイヴがいなかったら別れる決断はできなかったと思う。
会ったら諦めてくれないと思って、「別れましょう」とLINEだけ入れた。
それからは、デイヴと二人の時間が増えた。
彼には年上らしい落ち着きがちゃんとあって、感性が近いのか、話していてすごく楽しかった。カートと違って私の好きな映画を一緒に見てくれたり、本を読んで感想を聞かせてくれたりもした。逆にデイヴがドラムをやってるバンドを見せてもらったりもして。
はっきりと恋人関係にはなってなかったけど、彼が私を好きでいてくれているんだと伝わるのが何より嬉しかった。デイヴとの距離はどんどん縮まっていって、軽くだけど、キスをしたのは私の方から。
そんな折、12月頃になって突然カートが私の元に現れた。私のSNSに恋人との写真が上がっているのを見て、居ても立っても居られなかった、とのことだった。
カートが言うには、「最初から好きじゃなかった」という言葉は嘘だったらしい。私の束縛がきつかったから突き放すために言ってしまったのだと。私があれほどショックを受け、トラウマになっていた言葉は「つい口をついて出た」程度のものだったらしかった。
別れてからこの1年、ずっと私のことを考えてつらかった。許してくれるならまた付き合いたい。
そう言われた。
私の束縛から解放されて、元カノ含む仲間と楽しそうに騒いでいたように見えたのも、気のせいだったんだって。
今考えればあり得ないと思うんだけど、その時の私はかなり悩んだ。正直、私もカートのことはずっと引きずってたから。幻滅したって思ってたけど、自分の中にまだ彼を想う気持ちが残っていたことにびっくりした。
カートへの返事は保留にして、デイヴにも相談してみることにした。
それに関しておれに口を出す権利はない、と言われてしまったけど、答えが出るまではどれだけでも待ちますと言ってくれた。おれはあなたのことが好きだから、と、デイヴははっきり言葉にして伝えてくれる人だった。
そういうわけで、しばらくは恋人未満の関係の人が二人いるような状態が続くことになった。早く答えを出さなきゃと思いつつも、デイヴの「答えが出るまで待つ」という言葉に甘えてしまっていた。
そんなとき、今度は兄の女友達から恋愛相談を受けた。恋愛経験がほとんどないらしく、好きな人にどうアピールしたらいいのかな、と。私は大人の恋愛がわからないので何とも言えなかったけど、「素直に伝えるしかないんじゃないですか?」と答えた。
それからしばらくして、デイヴから「後輩に告白された」という話が出た。あれ? とは思ったけどそのときはまだ確信がなかった。でも、また家に来た兄の女友達から「頑張って気持ちを伝えた。あなたが背中を押してくれたおかげ」とお礼を言われて、ようやく気づいた。
デイヴからは「告白されたけどまだ答えを出せずにいる」と言われた。
私も、デイヴとカートと、二人の間で揺れている。
だったらこうするしかないんじゃないか、って思った。
私はカートを選び、デイヴは女友達と付き合うことになった。そうするのが一番丸く収まると思った。じゃないとその女友達に合わせる顔がない、というのも大きかったけど。
年が明けて、今度こそカートと2人で初詣に行くことができた。それからも彼はデートの誘いを断らなくなり、好きだと言えばちゃんと言葉を返してくれるようになった。
ようやく恋人らしいことができるようになって嬉しかった。キスはまだ恥ずかしいからって拒否されたけど。
でも、高3の春頃からまたカートの様子がおかしくなった。
デートに誘っても「気分じゃない」と断られることが増えた。友達と遊んでいたことが後でわかって、「どうしてそう言ってくれなかったの?」と少し喧嘩をした。
好きだと言っても返事を誤魔化されることが増えた。「自分に嘘をつくのが嫌なんだ」と言われた。
正直意味がわからなかった。
私に新しい彼氏がいるとわかっていて(正確には勘違いだったわけだけど)、それでも私の元に現れたのは、私のことが好きだからじゃなかったの?
カートにとってはデートをすることも好きだと伝えることも「無理をしないとできないこと」らしかった。
じゃあどういう関係が理想なのかと訊くと、そういうことをしないで付き合えたらいいと言われた。
でも、そんなの無理だ。好きとすら言ってもらえないのに恋人だなんて言えない。だけど彼は「自分はこの人と恋人である」という意識があれば、特別なことは何もできなくても恋愛関係が成り立つと思っていた。
せめて「好き」の一言くらい言ってほしい。そう伝えると彼は「頑張る」と答えた。頑張らないとできないんだ、とは思いつつ、私もそれで我慢した。
そういえば、カートは絵を描くのが好きだったんだけど、それを私に見せてはくれなかった。描いたことすら秘密にされている絵も多かった。
絵を描きたいからデートには行けない、というときにも「気分じゃない」と言うのが彼だった。私とのデートが嫌みたいな言い方で、あまり良い気分はしなかったけど。
それだけならいいんだけど、彼は周りの友達には描いた絵を見せているようだった。彼と私の共通の友達からその話を聞いて、びっくりした。その友達も、私がそのことを知らないと分かって驚いてた。
カートが絵を見せようとしないのは私に対してだけ。
彼が私にしてくれる恋人扱いは「恋人だからできること」ではなくて、「恋人だからできないこと」だけだった。
夏休み中、遠くの学校へ進学した幼馴染の男の子から連絡が来た。久しぶりに会いたいのだそうだ。
カートにも伝えると、自分以外の男とデートをするのかと不機嫌になった。でも私は幼馴染相手にそんな感情を抱いたことはなかったし(本当に小さい頃に結婚の約束をしたくらい)、恋人のくせに全然デートをしてくれない彼がそれを言うことに少し腹が立って、半ば無理やり「行くから」と話を打ち切ってしまった。
幼馴染と出かけるのは楽しかった。カートにはデートじゃないと言ったけど、しばらくデートをしていなかったのもあって、同じような楽しみ方をしてたとは思う。かと言って恋愛感情はなかったけど。
楽しすぎて色々回ったせいで、体力のない私はかなり疲れてしまっていた。そこから家までは1,2時間かかる。途方に暮れる私に、幼馴染はホテルに一緒に泊まる? と提案してきた。
別に変なところじゃなくて、幼馴染が自分で泊まるためにとっていたところ。大きい部屋だから、多分私も泊まれるんじゃないかって。
本当に疲れていたし、幼馴染なら間違いも起こらないだろうと思って、私はそうすることにした。カートにもLINEで連絡しておいたけど、既読はつかなかった。
そしてその夜、私は幼馴染に襲われかけた。
お出かけ中に恋人はいるのかと聞かれたとき、カートとの関係を恋人と言えるのかわからなくて答えを濁してしまったのが悪かったのかも。不用心だったなって今は反省してる。
拒否したから結局何もされなかったんだけど、幼馴染からそういう目で見られていたことがすごくショックだった。年頃の男の子なんだし仕方ないんだろうけど、付き合いが長いとどうしてもバイアスがかかっちゃう。
なかなか寝つけなくて、起きてるような寝てるような状態で気づけば朝になっていた。
幼馴染とはぎこちない雰囲気のまま別れて家に帰り、すぐカートに通話をかけた。なかなか出ないので諦めようと思ったら、ちょうど彼が出た。「なに?」と眠そうな声がした。昨日は夜更かしをしてゲームで遊んでいたみたい。
私が昨夜あったことを話すと、彼はまず私がホテルに泊まったことに怒り出した。スマホを見ていなかったらしい。
幼馴染に襲われかけたこともだけど、それに対して慰める言葉が何もなかったのがもっとショックだった。
それどころか、彼からは「そういう話は気持ち悪いからしたくない」と言われてしまった。自分の恋人がそんな目に遭った話なんて聞きたくないよ、みたいなことかと思って謝ったけど、単に性的な話が嫌なだけみたいだった。彼はシャイというか、少し潔癖っぽい人だったから。
でも、私が本気で悩んでいるのに、そういう話は嫌いだからと話を打ち切ろうとするのはちょっと信じられなかった。
この一件で、カートへの愛が完全に冷めてしまった気がした。というより、恋愛自体への熱が、かも。
それ以来、彼と恋人らしいことをしたいという気持ちはなくなった。かと言って他の誰かと付き合いたいとも思えなくなった。別れ話も何となく面倒で先延ばし。ただ恋人であるという事実以外には恋人らしいことが何一つなかった。
彼はこれが理想だったのかな、と思った。
でも、年末になって突然別れようと言われた。二つ返事で了承したけど。
多分、私が彼に対して特別何かをすることがなくなったからなんだろうなと思う。自分は恋人に何もしたくないけど、相手からは何かしてもらいたい……とか、そういう風に考えてたのかな。今更わからないけど。
デイヴは、今の彼女とかなりうまくいってるらしい。結婚も視野に入れてるとか。
もしあのときデイヴを選んでいたら、とたまに思うけど、もうどうしようもないし、多分私じゃうまくいかなかっただろうと思う。そもそも私には恋愛は向いていなかったんだろうな、って。
私はもう高校を卒業してしまって、青春は二度と取り戻せそうにない。
そんな恋愛に振り回された3年間でした。