忘京

 すべてフィクションです。

無題(収納、拒否)

 日曜の昼過ぎ、本宮から家に呼び出された。好きな男に振られたらしかった。
 本宮のワンルームマンションまで、あたしの家から自転車で五分もかからない。チャイムを鳴らしても返事がないので郵便受けの合鍵で玄関扉を開くと、ひどく荒らされた部屋に先週宅飲みをしたときの整然さは見る影もなく、その中央に彼女は座り込んでいた。いるなら返事しろよ、と思うが口には出さない。振り向いた彼女の目が赤かった。
「有村あ」本宮は言った。「片付け、手伝って」
 強盗でも入ったのかと訊ねると、彼女は「酔って自分でやった」と答えた。それから「と思う」と付け足した。昨日、男に振られてから一人でやけ酒していたらしい。「飲むなら呼べよ」と言ってみると、本宮は決まり悪そうに目を伏せた。どうやら相当堪えているようだ。

「これは?」
「あー……いる。ベッドの上に置いといて」
 あたしが拾いあげたものの処遇を本宮が決める。片付けはそんな調子で進んでいった。
 あたしと一緒に選んだ服は「あの人にかわいいって言われたの思い出すから」と『不要』に分別された。いつか行った北海道旅行のお土産だったオルゴールは「あの人の実家北海道なんよね」と捨てることになった。中学の頃に二人で読んで盛り上がってた少女漫画はなぜか念入りに破かれていて、理由を聞くと「主人公、あの人の彼女の名前」とのことだった。あたしとの思い出の品は、誰とも知らない男との思い出のために次々『いらないもの』にされていった。
「これは」
 次にあたしが拾いあげたのは、小さく畳まれた便箋だった。
「あ、それだめ」
 本宮の制止を無視してそれを開くと、そこには本宮が丁寧に書こうとしたときの奇妙に角ばった不器用な字で、迂遠すぎる愛の言葉が綴られている。どうやらラブレターのようだった。宛名はやっぱり知らない名前だった。
 半分くらい読んだところで、手紙を本宮に奪い取られた。彼女はそれを胸許に抱えて、射るような視線でこちらを威嚇してくる。
「今時手紙かよ」
 あたしは笑った。「古風だな」
 本宮は拗ねたような声色で「形に残したかったから」と説明した。父親との馴れ初めを知りたがる子供にこの手紙が見つかって、照れくささに悶えながら夫と付き合いたてのように戯れ合うのが夢だったのだと不毛な妄想を爆発させている。ロマンチストなのは昔からだけれど、今日はなぜか、からかう気にはなれなかった。
「ま、受け取ることすら拒否られたわけですけどね」
 本宮は突然静かになって、俯きがちにぽつりと零した。
「こうなるとただの黒歴史だよおお」
 また別の方向へ暴走を始める本宮を尻目に、あたしは勝手に片付け作業を再開した。

「落ち着いた?」
「面目ない……」
 本宮が情緒不安定を炸裂させている間に、片付けはほとんど完了していた。大抵のものの場所はあたしも把握していたから、大して難しい作業じゃない。自分の部屋なのにあたし任せにしてしまったと本宮は申し訳なさそうにしていたけれど、要不要を逐一確認せずに済んだのはあたしにとっても楽でありがたかった。
「いらないものとかあるかもだから、そしたら捨てといて」
 そう言いながら、あたしはソファに腰を下ろす。本宮は床にへたり込んだまま黙ってうなずく。
「ま、振ってもらえるだけいいんじゃない。曖昧なままのほうがつらいでしょ」
 ついでにそんなお節介なことも言ってみると、本宮はやっぱり無言でうなずいた。妙に気まずくて居心地が悪かった。
「……『あなたと出逢うまで、一人の時間を寂しいと思ったことなんて——』」
「やめろお!」
「本宮そんなキャラじゃないでしょ。どんだけ猫かぶってたんすか」
「死ねっ‼︎」
 覚えていた手紙の一節を引用してみると、本宮はようやくいつもの元気を取り戻した。こっちのほうが彼女らしい、とあたしは思う。
「で、それどうすんの?」
 手紙を指差して訊いてみると、本宮は少し悩んでから、
「取っとく」
 そう言って立ち上がると、タンスの上の小物入れにしまいこんだ。
「捨てないんだ」
「まあ」本宮は言った。「好きだったのは本心だし」
「そっか」
 どうやら、もうだいぶ心の整理はついたみたいだった。きっと明日からは一人で、たまに男のことを思い出して煩悶としながら、少しずついつもの生活に戻っていくんだろう。そうしてその男は彼女の一部になっていく。それはあたしが口を出すことじゃない。
「でもしばらく男は勘弁だなあ」
 本宮はあたしの隣に腰かけて、そう漏らす。
「……じゃああたしと付き合ってみる?」
 言うだけ言って、あたしは顔を背けた。
「んー」本宮はまた少し考えて、
「いいねそれ、有村となら楽しそう」
「いいんだ」とあたしは呟く。
 横目に表情を盗み見ると、本宮は笑っていた。
 あたしの心も知らず、本宮は無邪気に笑っていた。