忘京

 すべてフィクションです。

変わりたくなくなくなりたい。

 変わりたいのに、変われない。
 私の人生はずっとそんな感じだと思っていた。けれど、最近改めて考えてみると、それはいささか正確ではないのではないか、と思い至った。
 つまり、私はそもそも「変わりたくない」のではないか。

 変わるっていうのは難しい。
 それは心理学的ホメオスタシス(簡単に言えば「現状を維持しよう」とする無意識の心理)みたいな話とも少し違って、ある種もっと自覚的な、明確な「変わりたくない」「そうなりたくない」という意思が介在するのではないかということ。
 たとえば、何か自分が「生理的に受け付けない」というものを想像してもらえばわかりやすいと思う。
 虫が苦手な人が、虫に触れるようになりたいと心の底から願うことができるだろうか。潔癖症の人は、それを克服したあとの「汚い自分」を受け入れられるのか。働かないほうがずっと楽なのに、わざわざつらい環境に身を置きたいだなんて思えるだろうか。
「こうすべき」なんて簡単に言える人は、たぶんその視点が端から抜けているんじゃないかな、という気がする。
 そうなれたほうがいいとはわかっていて、それでも変わることができないのは、変わったあとの自分を、変わる前の自分が受け入れられないからではないのか。

 思えば、似たような話はいくらでもある。
 貧困に喘ぐ方々に「節約」は難しい、という話もそう。まとまったお金がないから定期券を買えず、毎回切符を買い続けることしかできない。
「やる気を出すにはこうすればいい」と言われても、やる気を出すためにそうするためのやる気がそもそもないのだ。

 変わりたいのは本当だけど、変わりたくないのもやっぱり本当だ。
 だから具体的に行動も起こせず、そのうち何かの拍子に変われないかなと、来ない何かを待っている。「変わりたくない」をなくすのは、実際に変わってみせるよりもよっぽど難しいことのような気がする。
 だから私は変われない。たぶん一生。
 昔は「一生変わらなくていい」って思っていたのに、いつの間に変わらないことに耐えられなくなったんだろうか。変わってしまったな、と私は思う。