忘京

 すべてフィクションです。

わたしは、きみの生まれた日を知らない。

 飼い猫が死にました。
 あの日はまだ夏でした。お昼すぎに起きだしたわたしは、しつこい眠気を覚まそうと洗面所へいくと、洗濯機の前に横たわるそれを見つけたのでした。

 ああ、死んでる、と思いました。
 きっと、ああ、ねむってる、と思うべきなのでした。
 そう思えない自分は、なにかをまちがえているように思えました。
 わたしは猫の名前を繰りかえし呼んで、涙をだそうとしてみました。
 Twitterをひらいて、「ねこがしんじゃった」「どうしよう」と全部ひらがなでつぶやきました。
 ゆうべ一緒に寝たときは元気だったのに、と嘘の回想に浸ろうとして、やめました。
 昨夜、布団に入ったわたしを呼ぶ猫に向かって、わたしはただ「うるさい」「寝かせて」とつっぱねたのでした。
 飼い猫の死体を目の前にして、こういうときなにをすべきかGoogleにたずねる自分が、とても冷たい人間のように思われました。
 こんなときでも、わたしは、自分のことばかり考えてしまうのでした。

 その夜、好きなロックバンドの新曲が出ました。
 やたらとノリがよくてエロティックな歌詞にむりやり気持ちを重ねようとして、結局、あきらめて眠りました。
 夢のなかのわたしは、猫のことなど忘れたように、中学校生活を反芻するのでした。

 翌朝、旅行へいこう、と決めました。
 猫がいた10年間、わたしは外泊をしたことがありませんでした。世話を任せられる相手なんていなかったから。
 母は、猫に会うと、かならず甲高い声でアテレコをするから、できれば会わせたくありませんでした。
「いつも、ありがとうだわん」
 実家には犬がいるから、母はときおり、語尾をまちがえるのでした。

 いつまで寝ていても、起こされない。
 なにをしていても、邪魔されない。
 帰りがどれだけ遅くなっても、べつに、何の問題もない。
 わたしの人生を縛っていたものがほどけて、猫の図々しい干渉がなくなると、途端に、わたしは自由になりました。
 けれど同時に、わたしの日常には何の引っかかりもなくなりました。
 毎日同じ顔をした金太郎飴みたいな日々は、あっという間に過ぎ去って、気づけば、年も暮れました。

 わたしはまだ、旅行にいけていません。
 いくなら北の方がいいな、と思います。
 できるだけ寒いところのほうが、あの夏の日から遠くて、過去を振りかえる場所、という感じがするのでした。